海水で“甘いネギ”、塩害ヒントに千葉県で新栽培法 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
塩害を逆手にとり、海水を散布するユニークな長ネギ栽培法を千葉県山武市のJA山武郡市(佐瀬信男組合長)が考案した。
海水で“甘いネギ”、塩害ヒントに千葉県で新栽培法 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) より引用
この現象は長ネギだけに現れたようで、長ネギと海水のミネラルが良い影響を及ぼしたのか。
新しい農法としてこれから注目されていくようです。
この記事を読んで、ふっと思ったこと。
そういえばトマトは、「枯れるギリギリまで水を与えないと甘くなる」 と聞いたことがあります。
トマトにしてみれば、枯れてしまわないための必死の抵抗なのに、
それを食べるヒトが更に喜ぶためにいじめられてしまう。
トマトの甘みは、命を残すための生命の最後の一滴。
そうそう。
牛肉を柔らかくするために、飲みたいのかどうかわからないのにひたすらビールを飲ませてみたり。
可愛いといってエリマキトカゲを脅かしてみたり。
バラの花の給水をよくするために、切り口を火であぶったりするんですよね。
昔話の 『さるかに合戦』 の
サルからもらった柿の種を植えて、カニが柿に語りかける一節。
早く大きくならないと、ハサミでちょん切っちゃうぞ。
甘くおいしくならないと、ハサミでちょん切っちゃうぞ。
にも似た、脅迫か拷問のようにも思えます。
弱肉強食とはいえ、ヒトの嗜好に命の営みまで翻弄されてしまうこともあるのですね。
かくいう私も、油の無駄にノッタお肉やお魚。
大好きです。
もちろん、引用した記事の長ネギの場合が、ヒトの一方的なわがままだと言っているわけではないのです。
何の恨みもありません。
しかし、近頃はかつてより土壌が痩せて、野菜が本来持つ栄養を持たないことも多いと聞きます。
野菜の味が薄くなった。という話もよく耳にします。
塩害という災害を、逆手にとってより良い利用法が発見できたのは、やはりヒトの知恵でもあると思います。
ただ、素材の本来のおいしさや楽しみよりも優先される甘さや柔らかさ、といった一辺倒になりがちな味覚の単一化。
味覚も季節感も薄らいでいく野菜というよりは、フード。
素材の感触よりは、簡単なテクスチャ。
野菜の声を聞いて、その子が一番輝ける育て方を導き出すことはできないのかな、とも思います。
苦かったり、固かったり、辛かったり。
土と太陽、あらゆる恵みを目一杯享受して育つことのできる環境。
大量生産、大量消費の経済活動に踊らされてしまうと見失ってしまいがちな、本来の生きる、食べる。
自然の中では、生産に浮き沈みもあって、食べられる時期も場所も限られてしまうけれど。
薬品やプラスチックを常食にしないようになるために。
自然の土と自然の太陽に育まれて、自然の野菜を取り戻すことはもうないのかな?
求めちゃいけないのかな?
後戻りと笑われない前進する方法論は、もう見当たらないのかな?
ヒトの餌になりうるものの命を弄び、最後の一滴をいたずらにむさぼった結果が、
ヒトの本能の退化への階段だとしたら。
食べられたものの最後の意地をまでも受け取るのが、
命のやり取りの対価なのだとしたら。
今、私にできること。
いただきます。ごちそうさま。
手を合わせて祈る時。
血となり肉となって共存してくれる素材たちに。
手塩にかけて育ててくれた生産者さんに。
声をきちんとかけて、残さず生きた証を味わいたいと思います。
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音楽を保存する際、問題となるのが 「音の劣化」 。
昔は記録媒体がカセットテープに限られていました。
劣化が少ないカセットテープを探すのに苦労したものです。
今や CD や DVD の普及により、音楽も映像も一般ユーザが簡単に劣化を抑えてデジタル化し、保存できる環境が当たり前になった時代。
便利になったものですね。
しかし、この CD や DVD も永遠ではありません。
CD や DVD の外側に使われている樹脂の耐用年数は、約50年と言われています。
この耐用年数も、樹脂自体の劣化の限界であり、
実際には使用時についてしまう 「キズ」 や 「汚れ」 によって、それ以下となってしまうようです。
ちなみに、円周方向につく傷は読み込みエラーが高くなってしまうらしいのです。
円周方向にデータが記録してある関係上、光で読み取る際に読み取る光が傷によって屈折する可能性が高くなります。
円直方向の傷でも光の屈折は起こるが、一瞬で通り過ぎてしまうためまだ影響が少なくて済みます。
そこで少しでも 「音の劣化」 の問題を払拭しよう、と出てきた製品が開発されたようです。
夢のCD:ガラス製「音」劣化しない 1枚9万8700円−話題:MSN毎日インタラクティブ
CDは盤に張られた情報をレーザーで読み取って音にするが、現在のプラスチックの盤は透明度が完全ではないため読み取りも不完全。また日光や高温でもわずかに曲がり、音質が劣化する。これに対し、ガラスCDは完全に透き通っており、温度や湿度変化を全く受けないため、いつまでも同じ状態で聞ける。
夢のCD:ガラス製「音」劣化しない 1枚9万8700円−話題:MSN毎日インタラクティブ より引用
この記事を見た時、最初の疑問は、
「なぜガラスの方がプラスチックより音が良くなるのか」
わかりませんでした。
ガラスであれば扱いも難し(割れるとか)くなるし、重くもなります。
持ち運びも気楽にできなくなるでしょう。
透明度のメリット。
素材の均一性は、プラスチックに比べるとガラスの方が高いらしい。
また、透明度の劣化もプラスチックよりガラスの方がしない。
光の通りも良くなる。
ということで、読み取りエラーが少なくなる。
剛性のメリット。
ガラスはプラスチックに比べて、力をかけたときに曲がりにくい
(やりすぎれば、プラスチックより簡単に割れる)。
熱変形は、プラスチックよりガラスの方が耐性は高い。
ガラスはプラスチックより引っかき傷に強い。
ということで、曲がりにくい、変形しないことが、安定した信号の読み取りを長期間維持できる。
CD が反ってしまうと、レーザーのあたる距離が変わってしまって、安定して信号が読み取れない。
ガラスがプラスチックよりメリットが高いことは、わかりました。
そもそも CD は、どのような構造になっているのでしょうか。
ガラスCD というのは、どの部分がガラスなのでしょう。
ガラスの円盤に直接レーザーで焼いて溶かしていくのでしょうか。
社団法人 日本記録メディア工業会|消費者の皆様へ|CD-R/RWって何?
の 【CD-R/RWの構造は?】 の項目を参考にしました。
基板(プラスチック)の上に記録層(虹色の部分)。
その上に、反射層(鏡のように銀色のシート)、またその上に保護層があり、ラベルが貼ってあります。
実際に失敗して廃棄するような CD をカッターなどで削ってみるとわかりやすいです。
今回 ガラスCD と呼ばれるものは、基板(プラスチック)の部分がガラスにとってかわるということなのだそうです。
夢のCD:ガラス製「音」劣化しない 1枚9万8700円−話題:MSN毎日インタラクティブ では、
音楽CD が様変わりをする可能性があるということでした。
売っている 音楽CD と自分で焼く CD-R や CD-RW は違うのでしょうか。
CD-RWを再生できない場合があるのは? / デジタルARENA
書き込み方法が違うようです。
音楽CD は、物理的に記録面に凸凹をプレスして記録しています。
一方
CD-R や CD-RW は、レーザーで凸凹に代わる構造を造っています。
また、
CD-R や CD-RW でも、記録方法に違いがあります。
つまりそれぞれの規格で ガラスCD を作る必要があるのですね。
ガラスCD は、すぐにでも飛びつきたい 無敵なCD となるのでしょうか。
耐用年数は、ほぼ半永久。
しかし、お価格は高価です。
需要が増えれば価格は下がると思うのですが、良品でも安価が当たり前。
一生ものとしてコストパフォーマンスを推し量ったとしても、いかがでしょう。
更に気になるのが、重さの問題。
既存の CD プレイヤにセットすると、再生は可能でしょうか。
重い CD を廻すだけの力が、プレイヤに求められます。
それなりの技術は整っても、実用化、製品化。
一般への普及となるとまだまだ道のりは長そうです。
近年、ブルーレイの大容量メディアや今回の ガラスCD 等にみられる、
大容量の情報を長期間保存するのに適した技術の進歩が目覚ましいです。
大量生産、大量消費の時代から、
多くの記録、記憶までをも大量に、永遠に残すということでしょうか。
本来思い出は、脳裏に、心に焼き付けるもの。
鉱物に傷や焼印を当てなければ思い出せない記憶など、本当に必要なのかどうか。
もう一つ持ち合わせた忘却という能力を、無効化にでもしたいかのよう。
もしくは、記憶の能力をスポイルするための促進運動でしょうか。
思い出は時間が止まり、そして振り返るものに優しいといいます。
色が焦るのも、生きている証。
忘れてしまうと自覚できるのも、まだ自身が生きている証。
おぼろげでも、ふっと時に心を温かくするのもまた、体内から呼び起こし流れる記憶の凹凸、メロディではないのでしょうか。
小学生の頃、校庭の端っこに埋めた 『タイムカプセル』 。
過去の時間を引っ張り出すきっかけの媒体にはなるでしょう。
しかし、媒体に頼って、ではその空いた領域に何を記憶させるのでしょう。
寝てはリセットしてしまうバッファ領域ばかりになってはいないでしょうか。
記憶がスカスカのスポンジにはなっていないでしょうか。
一時記憶ではない、永遠の記憶。
心に目に耳に。指先にいつまでも忍ばせておける私でいたい。
時を空間を肌でいつも感じ取れる感覚は、私自身の中に持っていたいなぁと思います。
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最近、信じられないトラブルが多すぎる。
効かないブレーキ。曲がらないハンドル。燃えるバッテリー。
不景気の折、コストを優先せざるをえない状況も解らなくはない。
社会人で営利団体の企業に所属していれば、
悲しいかな儲けることが第一番の企業の方針にも加担しなければならない。
その恩恵で、私自身生活が成り立っているのだから。
でも、ちょっと待って。
製品として販売する以上、最低限の安全性は確保して欲しい。
確かに、「使う側のスキルの不足、勘違い」と製造メーカーは言うかもしれない。
正直私もそう思うところもある。
10年以上前の製品の安全性をメーカーが保障しなければならないのか。
使い手は道具を使うために、用意されたマニュアルも注意も無視して読まなくていいのか。
年齢や解釈の誤差を軽減するために、分厚くかつ文字ではなくイラスト化された取扱説明書も多い。
お客様は神様どころか、単なる物知らずの傲慢ではないのか。
そんな哀れな王様に媚びへつらって売りつける体質があるのだから、どっちもどっちといえるのか。
では、作り手はどうだろう。
企業としてのメーカーが、売り手。
それを使うお客様は、使い手。
それを設計し創造するのが、作り手。
作り手は、使い手の気持ちになっているのだろうか。
お役所やグローバルスタンダートと呼ばれる基準に乗っかることだけに専念していないだろうか。
お墨付きさえつけば、内容はどうでもよくはなっていないだろうか。
使った時の安心感。安定感。
使い手のプロセスは、作り手の「できて当然」は通用しない。
ありとあらゆる、わからない故のエラーを考えて想いを馳せて設計されるはず。
本来、ダウンサイジングもコスト削減もその「できないがゆえに起こる事故」の想定は、
網羅した上で改めて設計を練り直すものだ。
その実行には、さらに高い技術や経験が必要である。
何でも良いから5本あるものを3本にしてしまうなら、別に技術者など要らない。
引っこ抜ける人なら誰でも良い。
使い手を踏まえた物作りができないのなら、製品として世に出すのはいかがであろうかと思う。
使う側の能力に頼った物しか創れないのも、なんともお粗末である。
それこそ、作る側の「スキルの不足、勘違い」に他ならない。
「技は教わる物ではない。見て盗むもの」
余裕の無い日程、限られた予算。
そんな中で積んだ経験では間に合わない。
なぜなら「見て盗む」には、余裕も時間も必要だから。
経験を積めばそれも可能かもしれない。
時間やお金に余裕のある頃の社員教育は根気強く、気長だった。そして丁寧だった。
親切ではなかったが、沢山の経験を知識ではなく経験で教えられた。
わかるまで悩む時間があった。
できるまで何度でも試せる予算もあった。
しかし、大事に沢山のことをゆっくり学んだ技術者は、会社のコスト削減で減ってしまった。
どこのマニュアルにも資料にものっていない。
年長者の勘、経験は、結果をすぐには教えてくれなかった。
黙って動く無駄の無い作業する姿だけに、その手順が記されていた。
車でいえば、リコールがある。
まさか、リリースする時に初めからに絶対ダメだとわかっていて販売に踏み切ることはないのだろう。
それは本当に犯罪だ。
それでは、途中でミスがわかって直さなければならなくなった。
どこを?どうやって?
製造過程、マテリアル、構造、設計思想などさまざまな余分な知識をトレースできなくて
そのできあがった製品を、どうやって修正するのだろうか。
ただ、折れたから、弱ったから継ぎ足せばよいわけではない。
似非技術者が施す継ぎ接ぎは、所詮ハリボテの物体でしかない。
これまでは過去から与えられてきた貯金でまだなんとか、スキル不足を補えてきたところがある。
しかしその預金も使い果たしてきたようだ。
過去からの慣例だから、過去の実績のあるものだけを使いまわす。
それでは技術の発展は無い。新技術の開拓も無い。
ただ、これまでのものを位置を換え、どうにかやりくりするパズル遊び。
技を使いこなすための下地がスキル。
スキルといわれるものは、どうやって手に入れればいいのか。
短時間で的確に手に入れられるお手軽なスキル。
そんなものがこの世に存在するのか。
技術の貯金を使い果たした今に、安全性、安定性は見出すことができるのだろうか。
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太陽系惑星:冥王星除外…9→8に 天文学連合定義案修正−科学:MSN毎日インタラクティブチェコのプラハで総会を開いている国際天文学連合(IAU)は22日、惑星の定義案を大幅に修正、冥王星を惑星から外す最終案をまとめた。この結果、太陽系の惑星数は、現在の九つから八つに減ることになった。
太陽系惑星:冥王星除外…9→8に 天文学連合定義案修正−科学:MSN毎日インタラクティブ より引用
ヒトはものに名前をつける。
そのものを他のものと識別し、分類するために。
太陽系の惑星から外された『冥王星』。
この分類は、地球上に生息するヒトによって分類されている。
だれも当の太陽や冥王星が自分の所属や地位を主張しているわけではない。
そもそもこのカテゴリーわけに意味があるのか?
冥王星が太陽系の惑星であってもなくても、冥王星はきっと困らない。
仲間はずれで太陽の当たる率がさらに減らされたり、
冥王星が拗ねてしまって、公転周期のスピードが不安定になるわけではないであろう。
太陽系の惑星に属していると認定された時も、認定が外された時も
冥王星はきっとピクリともせず、これまで通り天体として存在し続ける。
本質は何も変わらない。
地球のヒトが身勝手な己の利害のために、太陽系だ、惑星だと定義づけているだけである。
だからといって、惑星になったら特典があったり、惑星じゃないから蔑まれるわけではない。
惑星じゃなきゃ格が低くなるから、などど呼称にこだわるのは、
『国の役所の呼称が庁じゃな無くて、省に昇格して欲しい』とのたまう哀れなヒトぐらいある。
ヒトが分類している太陽系。
地球を含める惑星や星々を大きくくくり、地球もその一部としている。
その割にあちらこちらに探査船を送り調べてすべてを知った気になり、太陽系の惑星の長を自負しているようにも見える。
ということは、もし外の惑星から太陽系に対して何らかのアクションがあった場合、
「われわれの惑星に、断りも無く何しにきた」とかいってしまうのだろうか?
いつから太陽系の広報担当になったのだろう。
代表権でも取得したのだろうか。
そういえば、月の土地とかも売買されている。
いつから太陽系の惑星やその他の星々まで地球のヒトが領地を支配するようになったのだろう。
地球だけでは物足りない支配者が地球上には多いのだろうか。
だからといって、太陽系で繋がっているという理由だけで
われわれの惑星と支配者ぶってよういのだろうか。
大きなもの、広いもの、偉大なものを支配したいのがヒトの性なのかもしれない。
知恵は宇宙とリンクするように果てしない。
でも、心持ちの容量はまだ星にもならない塵以下の小ささというのは、いかがなものだろう。
ヒトは太陽系の一部の地球に所属しているかもしれない。
ヒトはその地球上の生物の1つである。
その事実が、他の太陽系の惑星やその他の星々に連帯感を与えるのはわからないでもない。
しかし連帯感は、所有ではない。
識別し認識しやすくなった時、ヒトは認識を所属から所有へと意識を移してしまうのだろうか。
ヒトにとって都合の良いすり替えだが、星は何にも答えてはくれないだろう。
ヒトの知恵がどこまで星に届くのか。
星の変化は星のルールにより、宇宙の営みと時間が決める。
ヒトは何も手出しはできない。
星はヒトよりもずっと前から存在し、ヒトよりも長くずっと存在し続けるのだから。
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Astronomy】
asahi.com:ウイルスでソーセージの病原菌退治 米FDAが承認へ - 国際
ハム、ソーセージなどから人間に感染し、重い食中毒を起こすこともある細菌をウイルスで殺す――米のバイオ企業が開発したそんな手法を米食品医薬品局(FDA)が認可する見通しになった。AP通信が報じた。FDAがウイルスを「食品添加物」として認可するのは初めてという。
ウイルスは人間に感染して病気を起こすものもあるが、細菌にしか感染しない種類もいる。これらは「バクテリオファージ」と呼ばれており、抗生物質に代わる殺菌手段に使えるかどうかが研究されてきた。
asahi.com:ウイルスでソーセージの病原菌退治 米FDAが承認へ - 国際 より引用
食べ物に限らず、ヒトは自然界の微生物に弱くなった。
物理的に大きな物体や生き物の破壊は、これまで作り出した機械のお化けの創造の成果で恐れるに足りず、大手をふるって君臨しているというのに。目に見えない、本来なら標準装備の機能で精査できるはずのマイクロ生物に怯えて暮らしている。
こういう現象を本末転倒と言うのではないのだろうか。
ほんの少し前まで、科学やバイオの力を借りずともヒトは簡単に毒されたりしなかった。
たとえ毒されたとしても、自然界の営みに準じる形で賢く対処してきたのではないのか。
食中毒ならば、しょうがなどの薬味、薬草。
銀食器。
緑茶などを飲むことによる殺菌。
どくだみの葉をちぎっては、「血止めの葉っぱ」などと言っていたと思う。
医食同源。
食べることは、生きること。
ヒトの体で消化しきれない毒素を、科学やバイオの薬品に頼ってまで取り入れる必要性はどこにあるのだろう。
食べていいものと危険なもの。食べ合わせ。先端技術は経験に基づいた実証値まで叩き潰す気なのだろうか。
いや、もう今となっては、卵が先かニワトリが先か。
これまでは大丈夫なものを摂取しても、体がすっかり退化して自浄作用など持ち合わせていないかもしれない。
科学やバイオの薬品にまみれた異臭物を口にするしかもう道はないのか。
また、食物をはぐくむ土や空気、水。何もかも汚れてしまっている。
ヒトを守るために開発された消毒用の科学やバイオのために。
結局自らの手で、本来与えられたはずの安全を閉ざしたのかもしれない。
どうしてヒトはそんな自滅の道を歩んでいるのに立ち止まらないのだろう。
どうして細菌に耐えられないような弱い遺伝子を残すことに必死になっているのだろう。
人間のように無駄に方向を見失った動物でなければ、自然淘汰の選択を受け入れているのではないのだろうか。
ヒトには思いやりや哀れみ、慈しみをとても身近な感情、そしてモラルという善ととして捉えている。
心があるという言い方もある。
しかし、ヒトも地球上で生息する生物の1つ。
自然の営みに抗って何でも好き勝手に歪められるものではない。
自然の掟には跪く以外にない。それが結局正しい未来にも繋がるように思える。
細菌に犯されなくなった分、ウイルスの危険に身をさらすのか。
万人に万全なウイルスが存在するのか。
いろいろな環境状態やタイミングで突然変異を起こすとは考えないのだろうか。
ヒトもウイルスも。
どちらも同じ生き物なのだから。
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